いつどうなるかはわからない

テレビでこんなことやっていたけど、自分には関係ないよ!

と、思うことってありませんか?

突然誰かが亡くなる。

2月下旬、私の親戚が急逝しました。
なんの前触れもなく。
本当に、突然という表現が当てはまる、出来事でした。

当日の夕方まで全くいつも通りだったそうです。
その日の夜に自室で倒れていて、そのまま帰らぬ人になってしまいました。

死因は、心不全。
医師によれば、心不全だと確定はできないが、それ以外は考えられない状態、ということでした。

この方は、私の伯父がオーナーの幼稚園の事務長でした。
幼稚園の事務のほとんどをやっており、この方が何をやっていたか、内部の人はみんなわからない状況でした。
どこに書類があるのか、PC関係のパスワードも不明、PC内のファイルもどこになにがあるのか不明。
事務をやる人が急にいなくなってしまい、しかもすぐに雇える準備もなく。
伯父から私にヘルプが来ました。

とはいえ、私も会計、労務はわかりますが、幼稚園事務はわかりません。
しかも教えてくれる人もいません。書類もファイルもどこになにがあるのかわかりません。
そんな状況で2月の末ごろから幼稚園の事務を始めました。

ちょうど3月を迎えるころなので、補助金関係の提出物があり、また新型コロナウイルスによる感染が広がってきており、幼稚園対応をどうするかも検討したりとやることが山積していました。

もちろん、自分の仕事もやりながら。そして4月からは大学院が始まりました。

そんなこんなで6月を迎えています。

私が思ったことは、

自分一人だけが仕事のやり方や書類の保存場所を知っている状況は非常によくない、ということと、いつ自分がいなくなってもいいように情報は開示しておく、ということです。

この親戚は50代前半でした。
まだまだ若いです。
人の生き死に年齢は関係ない、ということです。
今回のようなこともあれば、交通事故ということもあり得ます。
いつまでも自分が同じ場所にいれる、という保証はないのです。

だからといって不安を煽るわけではありませんが、
自分は大丈夫、と思わないことです。

今流行しているコロナウイルスもそうです。
自分は感染しない、と思っている人たちが軽率な行動をすることで感染が拡大しています。
自分にも感染する可能性がある、という思考で行動をすることが重要です。

自分は大丈夫という発想は、
自分がよければそれでいい、ということと同義だと思います。

人は人によって支えられている、ということを意識して生活したいですね。

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